東京ジオ鹿大学地理学科事務室

都市の観察の投稿が多いです。Twitterを中心に活動中

私と地理学が接触するまで

                私と地理学が接触するまで

 

私は今,絶賛迷い中です.

というのも,私が今まで全力で取り組んできたものに対して疑問 を持つようになってしまったのです.

 

「あなたが今まで全力で取り組んできたものは何ですか?」

なんて聞かれれば,一昔前の私なら「地理学です.」と胸を張って答えていたと思います.

 

そう.一昔前は・・・

 

今は全く胸を張って「地理学!」なんていえなくなってしまいました・・・

なぜそう思えなくなってきたのか?という問いに対して,まずは私の経歴を整理する必要があるだろうと考えました.過去の私の関心の変化についてまとめたこちらの画像をご覧ください.

 

 

こちらの画像は,私が過去のどのタイミングで,何に関心を持つようになったのかについて整理してみたものです.

まずこの投稿では,幼少期から大学入学直前の「興味関心が地理学へ集約されていく様子」の過程でどのようなことがあったのかについて整理をしてみようかなと思います.

 

                幼少期~小学校低学年期

私は周りが「仮面ライダー」だの「アンパンマン」だのハマっているときに以下のことにハマっていました.(もちろん,以下に記載したものがすべての関心だったわけではありませんが・・・)

  • 幼い時から,地図という媒体に興味を持っていた.
  • LEGOでは都市を作り,ここでは書いていませんがトミカ街をつくって遊んでいた.
  • 親が持っていたスーパーファミコン版のシムシティに5歳にしてドはまり.「住宅」「商業」「工業」の概念やNIMBYの概念などをここで学んだ.
  • 2003年~2004年にかけて,テレビ東京で放送されていた完成!ドリームハウスという番組に熱中していて,当時小学校低学年でありながら,「セットバック」や「北側斜線」といった概念を理解できるようになっていた.

 

このような背景を持っていたので,昔から「都市」「建物」というものに対して興味を惹かれていたのでしょう.

それが功を奏したのかわかりませんが,小学校で社会科の授業が始まると,楽しくて楽しくてしょうがなかったことを思い出します.

 

また,このころは親が中学受験をさせようとしていましたから,中学受験向けの塾に通っていました.

授業自体はあまりよくわかりませんでしたが,「日本地理」の分野に関しては非常に面白く,塾での学びがよく身についていたのだろうと思います.

 

                小学校高学年期~中学生期=鉄道好きな子どもへの成長

上の図では,このころから「鉄道」という単語が出てきていますが,ここで大きな影響を及ぼしたのは引っ越しだったと思います.

引っ越す前は,東京から1時間以上かかる水田と山が同じ空間に広がる片田舎に住んでおりました.

電車は10分に1本程度で特段不便ということではなかったのですが,もともと住んでいたエリアは基本的に車社会で,移動手段も自宅の車であることが多かったのです.

 

そんな状況で,東京から電車で20~30分程度の場所に引っ越してきたわけです.引っ越し先の最寄り駅を見て驚きました.

まず線路が複々線で,いろんな電車がひっきりなしに来る駅だったものです.

私にとっては強烈な風景で,「鉄道」というものに強い興味をもつようになったのです.

 

中学校に進学したときは,同じく鉄道好きの友達とともに初乗り130円の切符を購入して大回りの旅をしたものです.旅行の計画を立てるために時刻表を学校へ持っていって友達と一緒に次はどこに行こうかだなんて会話をしておりました.

時刻表の路線図は舐めるように見ましたし,駅をたくさん覚えようともしました.

また,このころは鉄道オタクが書いた本をたくさん読み,妄想旅行に浸っておりました.

 

私は電車の時刻を調べて旅行計画書を作成して友達を引き連れていろんな場所に行く経験をしまくっていたものでしたから,「ツアーコンダクター」なんて仕事は非常に楽しそうだなと感じるようになるわけです.

それが結果として「観光業」というものに興味を持つようになるわけですが・・・

 

 

                高校期

高校時代は,中学時代までと打って変わって「部活」にのめり込みます.(当時始めたチェロに熱中していました)

自分の生活の中から「旅行」という存在は薄らいでいきますが,それでも自分は「地理」が好きで,「観光」に興味がありました.

また,むかしから「都市」に関心があり,「鉄道」も好きだったことから,土木工学分野への興味が非常にありました.

そんな中で一番面白そうなことができそうな学科を見つけます.

それは「首都大学東京都市環境学部自然ツーリズムコース」です.(今の東京都立大学ですね)

ざっくり言えば理系の立場で観光のことに取り組むことができ,都市工学の要素も含んでいたことから非常に楽しそうだと感じ,ここに進学したいと感じるようになりました.

 

ところが,この当時の自然ツーリズムコースは特殊なコースで,3年次からのみの設置だったのです.

つまり,1-2年生の時は他学科に在籍して,3年次編入するという形態をとっておりました.

進学してからすぐに観光のことができないのであれば,観光に隣接しそうな学問をやろうと考えた結果,

「地理学」を1-2年生で取り組むのがよいのではないか?と考え,首都大学東京都市環境学部地理環境コースを第一志望としました.

この学科は理系科目の受験でしたし,土木工学科なども目指すことを見据えて理系選択をしました.

 

しかしながら,土木工学科への進学の夢は意外なところで絶たれます.

コンクリートの塊を目の前に,ハンマーを持たされ,「叩いてみ?音が違うでしょ!!!楽しくない???」と言われ,そこで一気に土木工学への興味が薄れます.

ここで「都市のシミュレーション」かなんか示されていたらとても興奮してそこに進学していた気も致しますが,当時の認識の甘さを悔やむばかりです.

 

 

受験期になったときに,当時の地理環境コースは「ゼミナール入試」という変わった入試制度を用意していました.

これは高校三年生に対して,大学レベルの講義を20名に対して実施して,レポートなどの評価を行い上位4名を合格させるというものでした.

私は地理が得意で得意でしょうがなかったので,このゼミナール入試も問題がないだろうと感じておりました.

 

課題としては,多摩ニュータウン巡検を行い,それをもとにレポートを提出するもの.地形図の読図を行うもの.河床縦断面が氷期間氷期サイクルとどう連動して変化しているのかなど,かなり難易度が高いものでした.

 

私は,地元の図書館に通い,普段は目にしないような資料をたくさん借りてレポートをまとめたりして,「大学レベルの講義」というのがどういうものなのかということを体験することができました.

そして,ゼミナール入試の講義の中で,「地形学」の内容の講義が最も楽しいと感じて,地形学がやりたい」と感じるようになっていきました.

 

ゼミナールの入試結果としては落ちてしまいましたが,私の中で「大学の講義とは何か?」や「地形学の面白さ」などを強く感じ,進学先は絶対に地理学科にしようと考えるようになりました.

 

・・・とはいうものの,当時の私はかなり落ちこぼれておりました.

まず,高校3年生になってから,数学,物理,化学でそれぞれ何を言っているのかわからなくなってしまいました.

英語は全くできず,国語も古典に関しては「学ぶ意義がわからない」と感じるほどできませんでした.

そんな中地理だけクラスで常に1番を取っている,傍から見たらよくわからない生徒だったと思います.

 

そんな状況で,多くの私大の地理学科は文系科目での受験になるため,高校3年生から文転を余儀なくされました.

理系科目は基礎がしっかりしていたものの,文系科目はめっぽう弱く,このままではもうどうしようもない・・・大学に行けなさそうだ・・・

と,感じていたところに,私大では珍しく地形学の教員がいるとある大学の地理学科の推薦の存在を知ります.

そこのアドミッションポリシーには目を疑うような文章が書かれていたのです.

 

 

 

 

地図を眺めていると時間を忘れてしまう 人、三度のメシより地理が大好きだという人、そんな人の応募を歓迎します。」

 

 

 

 

私は衝撃を受けて,「これに挑戦してみない理由がない」と感じて,この推薦入試に向けて全力で臨むことにしたのです.高校三年の9月のことでした.

すべての勉強を地理に捧げて地理以外のことは何もしなかったといっても過言ではないくらい高校でやる範囲の地理の勉強をしていきました.

 

地理の学科試験の成績が良かったのか,私の地理学科で学びたいという意思がきちんと伝わったのかわかりませんが,地理学科に合格して,そこに進学することになりました.

 

 

ここからもさらに長くなってしまうと思いますから,ここでいったん区切りたいと思います.

また近いうちにこの続きを書きたいと思います.

 

それでは.

大津に来てみました~夜のお散歩~

こんにちは.ジオ鹿です.

 

現在,大津にきております.

こんなイベントが開催されるため,前泊できております.

天井川を見た後に天井川を飲みながら天井川を語るイベント

すごく天井川づくしなイベントなのですが,その記録はまた後日に・・・

 

ジオ鹿は滋賀県に来るのが初めてでして,もちろん大津市に来るのも初めてなのですが,

びわ湖浜大津駅に降り立った時に衝撃を受けておりました.

通常の車両と同じような電車が路面を走っておるではないですか!

私は衝撃を隠せませんでした.

京阪京津線は非常に特殊な電車のようです.

路面電車として走った電車が地下鉄にも乗り入れていくなんてすごいですよねぇ.

↑コチラは,京阪石山坂本線の線路です.

そんなに広くない道路に複線で路面電車が通っております.

すごい光景です

 

 

 

             大津のアーケード

大津には全蓋アーケードがあります.

区間ごとに商店会が異なるようです

 

             「丸屋町」のアーケード

↑約600m続いている大津のアーケードですが,その一番東側に広がっている「丸屋町」のアーケードです.

20時ころに歩いたからということもありそうですが,シャッターは閉まっていました.

 

↓「街おこし」を行っていく拠点もあるようです

 

JR大津駅からは北に600mほど.

街の中心部はおそらくこのあたりになってくると思うのですが,中心市街地の活性化が必要な地域のようです.

 

             「菱屋町」 のアーケード

↑大津のアーケードの中央部に位置しているのが,「菱屋町」のアーケードです.

コチラは「百円商店街」というのぼりがいたるところに立っていることから,割と商店会の力が強く,商店会全体で盛り上げていこうみたいな雰囲気を感じました.

 

↑このように割と古い建物もアーケード街の仲間入りを果たしているようです.

古い建物の景観とアーケード街を両立させるのはなかなか難しそうだなと感じる様子です.

 

↑アーケード街の屋根の上に上る階段がありました.

下に掲げてある表記の年季の入った看板を確認すると,

許可なく無断にてアーケード上へ

乗降したる者は犯罪とみなします

菱屋町商店街

というがありました.

登る人がいるのかは不明ですが,この看板の雰囲気好きです.

 

             長等(ながら)のアーケード

大津のアーケード街の一番西側のアーケード「ながら」

アーケード街の灯りは消えており,歩くのが少し怖かった様子でした.

こころなしか,先ほどまでの通りと異なり,昼間も経営されているのかよくわからない商店が目立ちます.

写真ではとりそびれたのですが,「デイサービスセンター」などの施設が多い印象がありました.

昼間はデイサービスの施設が開くので,夜とは異なる雰囲気なのかもしれません.

 

 

             アーケード街の外側は?

一歩アーケード街から裏路地に入ると,古い住宅が立ち並んでおりました.

そんな中で,こんな物件を発見しました.

 

京阪三井寺駅徒歩5分 面積45平米 賃料5.5万円

 

一見すると3Kの良い感じの物件なのですが,実はもう築年数も不明な建物です.

中がどうなっているのかすごく不安ですが,大津に住みたい,興味があるという方は内覧してみてはいかがでしょうか?なんてたって賃料5.5万円ですからね.安いです.

 

さらに奥に行くと,スナック割烹料理店といった夜の街に似合いそうな看板が多くあったのですが,お店が開いていませんでした.

かつては夜に人がにぎわっていたけど,今は人が集まらない空間に変わってしまったというところでしょうか・・・

すこし寂しい感じがしました.

 

             大津の生活道路文化

先ほどのながらのアーケード街の中に「本要寺」というお寺があったのですが,そこにあった注意書きがなかなか興味深い

この通路は、慣例で皆様に通行いただいております

が、宗教法人本要寺の私有地で公道ではありません。

と書いています.

また,べつな住宅街を覗くとこんな景観が広がっていました.

↑この民間の建物の一部分が通れるようになっていて,実際に自転車に乗った方が通り抜けておりました.

ちなみに,地図での表示はこのようになります.

また,このお豆腐屋さんの右側の通路も通れるようになっておりました.

地図ではこんな感じ

大津には民有地を生活道路として活用するみたいな慣習があるのでしょうか?

非常に気になります.

 

             琵琶湖疏水と大津城

 

琵琶湖疏水自体は琵琶湖の水を京都の市街地にもたらすための導水路ですが,大津市内においては,ここを流れている意味というのがどうやらあるようなのです.

大津にはかつて,大津城というお城があったようです.

1586年頃に豊臣秀吉によって築かれたようですが,ここの琵琶湖疏水の部分は,大津城の外堀に相当する場所のようなのです.

 

「大津にはお城があって,お堀がたくさんあったんだ~」と感じながら,びわ湖浜大津駅周辺を歩いておりますと,妙な隙間を感じました.

妙な隙間はおそらく「大津城内堀の一部」なのです.

↑線でなぞった部分

 

思わぬところで大津城を感じられたのが面白かったです.

 

次は昼間に大津の街を散策したいなと思います.

ではでは~

批判をしたつもりが表現の自由を侵害してしまった事例

こんにちは。ジオ鹿です。
本日は、説明を求められている事柄について説明させていただきます。
 
まずは尾方先生にまとめていただいた、Togetterをご覧ください。
 
 
一見すると、私が悪いことになりますが、ここで1つ私の意見を聞いてほしいなと感じております。
 
 
きっかけとなるツイートです。
 
 
このツイートで最も伝えたいメッセージは何かというと、「長良川周辺は河川面よりも生活面が標高が低く、増水時には災害のリスクが増大する」というものです。
 
ここで尾方先生の指摘を見てみましょう。
 
確かに、地形学でいう「天井川」の定義は以下の通りです。
 
「川底が、周辺の地面の高さよりも高い位置にある川のことを天井川といいます。」

 

 
なので、ツイート発信者は天井川の定義を少し間違えて認識をしてしまっているというのは正しいです。
しかしながら、問題の本筋はどこでしょうか?
 
それは、
長良川が生活面よりも高いところを流れている」ことにあります。
 
この部分は正しいのにもかかわらず、この部分が正しいと明記せず、間違った部分のみを誇張して述べている点に私は疑問を感じています。
疑問を感じたからこそ、このツイートを発信しました。
 
 
その結果、このようなリプライを、尾方先生から多数頂きます。
以下私の意見です。
「暴力」
→突然横から「そのことは誤りである。(そんなことすらあなたは知らないのですか?)」と述べているように私個人として感じたからです。
「暴力」という言葉は「力(知識)でもって相手を牽制している様子」を暴力という比喩表現として使用しました。
この表現に関して先生が「名誉毀損」や「侮辱罪」と捉えられてしまうことは想定しておりませんでした。申し訳ありません。
 
 
アウトリーチとか言ってる場合じゃないでしょう」は、尾方先生の発信が市民が科学に対する関心を萎縮させる可能性があり、アウトリーチと真逆ではないかという指摘です。
 
私が考えるアウトリーチは、市民が学問を気軽にたのしめることにあると考えており、正しい知識を入れることは重要ですが、それ以上に「楽しい」という感想や「調べ方を知る」ということも重要だと感じています。
 
今回に関していえば、ユーザーは「天井川」のことではなく、「生活面が河川の水面よりも低く危険な状況」ということを伝えたいと考えられます。是非、この発信の学術的に正しい述べ方を発信していただきたいと思うのが背景にあります。
 
 
 
尾方先生がおっしゃる「間違っている知識」が本当に間違いなのかをきちんと確認していない姿勢から述べています。
少なくとも(先生が誤りだと感じる)1つの誤った出典によって市民が間違えた認識を生じてしまっているのであれば、非難するのは、先生のお考えと反する出典ではないでしょうか?
それを「見るに値しない」と切り捨てるのは、先生ご自身の知識に自信があるからではないでしょうか?
 
 
 
ちなみに、国土交通省中部地方整備局HPには、以下のような記述があります。
 
  木曽三川が流れる濃尾平野には、日本最大の海抜ゼロメートル地帯が広がっています。
  この地帯では、洪水時の河川水位が周辺の地盤高よりかなり高い”天井川”のため、万一堤防から水があふれると、洪水の流れは地盤高の低い市街地や耕作地等に氾濫し、大きな浸水被害を及ぼすことになります。

 

このように、地形学的には異なる解釈が一般に広がっていることも現実です。
これらの文献の誤った記述に対して問題提議をお願いいたします
 
 

 

揚げ足に関しては、ツイート発信者が意図しない内容を指摘して、その部分のみを拡大して発信することを意図していました。
 
用語の使われ方に関しては、出典の内容と先生のお考えは一致しており、私が誤った発信をしておりました。ご指摘をしていただきありがとうございます。
 
 
 
 

市民のツイートを晒して、明確な説明がないまま「間違っている」と指摘する内容を引用リツイートしていることを吊し上げるという表現を用いています。

 
□追記(20190915)
その後のやり取りの中で、私が申しあげた「吊し上げ」という表現が完全に不適切であったことが判明いたします。
 私個人としては、「尾方先生」が「1年も前のツイート」を掘り出してきて言及をされていたと解釈を行ってしまったため、発生したトラブルでした。
改めて謝罪いたします。申し訳ありませんでした。


 
 
 

最初のツイート発信者が参考にしたソースを確認せずに、「見るに値しない」と述べてしまっているところに「残念な結果」だと感じています。

一般に間違っている知識が掲載されている出典を批判せずに、「見るに値しない」という言葉で片付けてしまっているところに関して「残念」と申し上げております。
 

 こちらに関しては、私が尾方先生に意見をリプライとして最初から申し上げなかったことに問題があります。申し訳ありませんでした。

私は、ご指摘を受けたらきちんと返信を行っており、「自分の責任を放棄している」ということはございません。

  

◻︎まとめ

 今回に関しては、「暴力」や「吊るし上げ」というような表現を用いることによって、名誉を毀損したり、侮辱と取れるような発信をしてしまい申し訳ありませんでした。
 
先に述べたように、私の中で飛躍した考えのもと、勝手な類推を行い、意見を表明してしまったことで尾方先生を傷つけてしまったことは謝罪いたします。
 
ただ、そのような飛躍をしてしまった背景を説明させていただきます。
 
私は科学者の中でも、尾方先生が行っている、市民に積極的に情報発信をして学問の「正しい知識」を広めようとしていらっしゃる姿勢は理解できます。
 
また、私自身も、学生時代に学んだ学問の面白さを広める活動を積極的に行なっていきたいと感じています。
 
私がアカデミックの人間に求めることは、「正しいことを伝えること」ということと同時に「何が具体的に違うのか、どうやったら正解を導き出せるのか」といったことを同時に教えてほしいと感じています。
 
「何が間違っているのか」がわからない状況だと、市民が科学的な発信を試みようとする中で、間違いを恐れ発言を控えてしまい、科学分野に関心がある市民を萎縮させてしまう可能性があると感じています。
  
今回に関しては、私の考えるアウトリーチ像と先生のお考えに乖離があり、私が飛躍した解釈を行なってしまったことが大きな原因と考えております。申し訳ありませんでした。
 
 

□追記

尾方先生が、この文章を読んでいただき以下のような感想をしていただきました。 

 

Twitterを活用されていらっしゃるのですが、アウトリーチの文脈とは関係がないとおっしゃっております。

アウトリーチ活動に関して積極的に行っている方でしたから、一生懸命Twitterでの発信に取り組まれていると感じていたのですが、そうではなかったのですね。

本ブログで指摘した内容を、お仕事にも活用していただけるとのことなので、今後は尾方先生がペーパーで発表されたものを読んでいきたいと思っております。

 

それでは~

地図から何が読み取れるのか?

こんにちは ジオ鹿です.
 
早速ですが,皆さんは「この地図」を見たときにどのようなことを感じますか?
 
 
上の地図は,「人が住んでいない地域」を可視化した地図です.
このように見ると,読者の皆さんは,
「日本には人が住んでいない地域が結構あるな」とか,
「やはり関東平野にはたくさん住んでいるな」
「特に北海道って人が住んでいないところが多いんだな」
と思うかもしれません.
 
 
でも,私は皆さんがこのような感想を抱くことに対してものすごく不思議に感じるのです.
なぜならば,私は一言も「この地図が『日本』である」とは述べていないからです.
 
しかしながら,多くの読者の皆様は上で述べたような判読はできるはずなのです.
読者の皆さんは,
この地図に描かれた形が「日本」であると認知して,
「上にある形が北海道」であることなどを見抜いているわけです.
 
なぜこれができるのかというと,判読している読者の皆さんの脳内には
「日本がどんな形をしているのか」
「上には北海道がある」
といった『地図情報』がきちんと入っているからです.
 
 
一方で,世の中には「地理や地図がものすごく好きな人」というのがいます.
 
特に地理学専攻の人間がこの地図を見たときに読み取れることはものすごくたくさんあります.
 
例えば,
「鉄道が走っているところには人が住んでいるんだな」とか
和歌山県のあたりから四国の中央部にかけての『中央構造線』沿いには人が住んでいないんだな」
とかを読み取ることができるのです.
 
これは,地理学専攻の人は,常にあらゆるものの空間分布を把握しようと試みているため,地理学専攻の人の脳内には,
 
「交通網の位置情報」「地形に関する情報」などの
主題図の読み解きに必要な「地図情報」が脳内にインプットされているのです.
 
 
このように,同じ地図を見た時に読み取れる情報は,
判読者の脳内に含まれる「地図情報の量」に大きく依存するため,
個人差がものすごくあります.
 
 
そこで今回私が開いた「地図データを観察する会」では,以下のことを参加者の皆さんに感じてもらおうと試みました.
 
参加者それぞれ保有する「地図データ量の差」
「地図情報」が脳内に多いひとは地図を見たときにどのような読み解き方をするのか

 

 
参加者同士で大きく異なるこれらの視点を感じてみましょうというのが,今回の企画でした.

 

今回の記事では,その時のワークショップでの様子を皆さんに少しでもご紹介していけたらよいなと感じております.
 

 

◻︎注記なしの地図を判読する

 275きろぼるとさん(@275kV)が作成している「ここどこクイズ」 に掲載されている問題を基に,あっという間にこたえられる人は「どのような地図情報」を用いて解答を導いているのかということに取り組んでみました.
 
 

 第一問

 
引用元:ここどこクイズ第1問目(URL: http://mudagomi.web.fc2.com/all/Kokodoko/N1.html )
 
場所は〇〇〇なのですが(正解は読者の皆さんが考えてみてね)
参加者の皆さんが抱いた判読は以下のとおりです.
 
・都市の西側の南北に新幹線が通っている.
・JR線と私鉄線は別々に分かれている.
・お城があるから城下町だった
都道府県庁があるから都道府県庁所在地
・国立大学が存在している
・地図の南北には河川が流れている

 

ここで注目したいのは以下の発言です.
・都市の西側の南北に新幹線が通っている.
・JR線と私鉄線は別々に分かれている.

 

なぜ,このことがわかるのでしょうか?
地図には凡例が特にありませんが,緑の線が「新幹線」黒い線が「JR線」点線が「私鉄線」であることを解釈しているのです.
これは,地図を読み慣れている人が「きっとこうであろう」という推測によるものなのですが,これも重要な地図の読み取り方の一つになってくるでしょう.
 
 

第2問

 
引用元:ここどこクイズ第2問目(URL: http://mudagomi.web.fc2.com/all/Kokodoko/N2.html  )
 
 
この地図から何が読み取れるだろうか?
・JR線が東西に延びている
・中心駅で私鉄がスイッチバックをしている.
   ⇒都市部でこういう構造を有している鉄道駅は相当少ない.
・中心駅から出ている2つの私鉄を比較すると東側の鉄道のほうが駅間が短い
  ⇒東側の鉄道のほうが西側の鉄道より規模が小さい?
・一番東側の私鉄は道路と重なっている部分が存在している.
  ⇒路面電車か,モノレールだろう
簡易裁判所がある.
  ⇒都道府県庁所在地ではないが,その都道府県の中で規模が大きいほうである.
 
・ベアリング工場がある.
  ⇒自動車関連工場が近くにあるのかな?
・地図の西側に大規模なゴルフ場がみられる
  ⇒丘陵地上が広がっているのではないか?

 

 
 
この地図には,「地形情報」や「周辺にどんな施設があるのか」といった情報は描かれていません.
しかしながら,地理をやっている人は,わずかな情報から推察を行い様々な可能性があることを導き出そうとしているのです.
 
このように,地図には描かれていない空間の広がりを推測する技術というのも地図の読み取りには欠かせません.
 
 
 

第3問引用元:ここどこクイズ第100問目(URL: http://mudagomi.web.fc2.com/all/Kokodoko/N100.html  )

では,この地図を観察してみましょう.

 
なにも情報がないに等しいですが,この情報だけでも「こういうことが読み取れるのではないか?」という意見が出てきました.
 
この地図で一番注目したいのは,「区役所」の存在です.
 
区役所を有しているのは,「東京23区」または政令指定都市特別区です.
 
また,東側に海があり,大きな湾が形成されていることから,
「港町」として古くから栄えているのではないか
という推測を立てることができます.
 
これらの条件を満たす都市は政令指定都市20市の中でも限られてきます
 
次に,道路の情報を重ねてみましょう. 

このようにしてみると,「都市の南西方向には山があるのではないか」という予測を立てることができます.
 
なぜその読み取りができるのかというと,「道の密度」が大きく異なるからです.
区役所周辺道が比較的太く比較的街区が整っていますが,
地図の南西側の道路は道が細くぐねぐねしていることが読み取れます.
 
これらのことから,地図の南西側に市街地は広がっておらず,人が少ないのではないかと推測することができます.
 
また,高速道路が都市の北西側に通っていますが,IC等が設置されていないように見えます.このことから,この都市は,大規模な都市と都市の間にある高速道路の通過点であると推測することができます.
 
最後に注記の情報を追加してみましょう.
 

 
この情報を重ね合わせると参加者の半分以上が「ここがどこであるのか」を理解することができました.
ポイントは「スタジアム」世界遺産あたりになってきます.
 
このように,「ここどこクイズ」では,
「正解を当てること」よりも
「どうやって正解を導いたのか,どのような情報が読み取れるのか」
ということのほうが面白みがあると感じます.

 

□地図には様々な読み取り方が存在する

 このように,「地図」というものを観察したときに,地図に載っている情報だけではなく,その情報から引き出すことができる情報がたくさんあるのです.
地図を見ただけで瞬時に場所がわかってしまう人は,
「その地域の地図情報を知っていたから」
だけではなく,
「こういう特徴を読み取れるから,条件にあう都市はこれだ」
と推測することができるようになるわけです.
 
脳内の地図情報をふやしていくことが,地図には載っていない情報を読み解く力を養う上で非常に重要です.
 
こういった地図情報をインプットしていくためには,「地図を観察すること」はもちろんですが,地図を通して見た世界と現実世界との繋がりを把握することも重要です.
 
地図から読み取ることができる情報を増やすには,
「地図を観察する力」と「現地を観察する力」の両方が重要
になってくるでしょう.
 
 

追記

「地図を観察する力」を高めてみたいと思う方は,こちらの本がおすすめです.
この本は,「空想地図」というものを7歳のときから作成し続けて,現在までに47都道府県300都市を巡った地理人さん(今和泉隆行さん)が執筆された本です.
 
私はこれを読んで,これまで何となく抱いていた「この地図が描かれた都市はこういう街なのかな」という想像を言語化することができるようになり,私のこういった活動に大変役立っている本です.
「地図」から「こういう空間が広がっているかもしれない」という想像を膨らませてみたい方はぜひ読んでみてください!
地図や空間の奥深さを感じると思います.
「地図感覚」から都市を読み解く: 新しい地図の読み方

「地図感覚」から都市を読み解く: 新しい地図の読み方

 

 

 
 
 
 
 
 
 

卒論を書くにはどうすればいいのだろう?

 

こんにちはジオ鹿です.

最近,後輩から「卒論について相談させてください」と相談を受けることが増えてきました.

私の後輩のように多くの大学生は「卒業論文」なるものを書かなくては卒業できないことが多いと思いますし,筆者である私も苦しみながらも、卒業論文を書きました.

 

「きちんとした卒論の書き方」は、大学の先生ももちろん教えてくれますが、かなり抽象的な説明で分かりにくいと感じる人も多いと思います.

 

一方で,ネット上の「卒論の書き方」は「書き方のテクニック」を示したものは多いですが,本質となる部分が欠けているものが多いように感じます.

 

中には,こんな感じで卒論に取り組む人もいるわけです.

ken-horimoto.com

 

卒論への取り組み方は人それぞれでしょうから,別にとやかく言いませんが,私の一連の投稿を読んでいただくと,このような取り組み方が「いかに愚かなことか」ということが分かると思います.

 

そこで,このブログでは、「正攻法で卒論をどうやって書けばいいのか?」ということを.卒論の内容を学会で発表した経験のある筆者が、書き綴ったものです.

 

特に私は地理学専攻でしたから,地理学という学問について触れていくことになると思います.

もちろん,学問によって大きく異なりますから,「こういうやり方もあるのか」と参考にしていただければよいと思います.

 

まず,今回の投稿では,

・卒論が何であるか?

・「勉強」と「研究」の違い 

・「卒論」が「レポート」と言われないためには?

 

ということについてお伝えできればと思います.

具体的な卒論の書き方は後日ご紹介させていただきたいと思います.

 

□卒論は何だろう?

 「卒論」とひとくくりに言っても,そもそもどういうものであるのかということが分からないと,取り組むことも厳しいですよね?

 

まずは「卒論」はどういうものであるのかを考えていくところから始めていきましょう.

  

ずばり,卒論は

「大学の学部を卒業するために提出する,研究成果をまとめた論文」

といえると思います.

 

ここで気になるのが「研究」という言葉です.

「研究すること」の本質が分からない限りは,まともな卒論を書くことはできなません.

 

 

□「勉強」と「研究」って何が違うの?

「研究」と似た概念に「勉強」があります.

どちらも「新しい知識を知る」という意味では似ているように思います.

しかしながらこの2つの概念は大きく異なるものであります.

 

ではまずは辞書で「研究」という言葉を調べてみましょう.

 

デジタル大辞泉の解説

けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】

 
[名](スル)物事を詳しく調べたり、深く考えたりして、事実や真理などを明らかにすること。また、その内容。「中世史を研究する」「対策を研究する」「研究者」「研究発表」

kotobank.jp

 

 

ここで重要なのが「事実や心理などを明らかにすること.」という部分です.

これは人間が誰も知らないことを発見すること」と言い換えていいでしょう. 
「研究」の概念はわかりづらいかと思いますので,図で説明したいと思います.

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人間が知っている事と研究の関係

「研究」という概念を図化するとこうなるでしょう.

人間が知っていることはある程度体系化されており,それがそれぞれの「学問」として成立していると考えるとよさそうです.

そして,人間が知っていることの周りには多くの知らないこと,「未知のこと」があり,その「未知のこと」を解明していくことが「研究」といえそうです.

 

 

では,「勉強」とはどういう概念なのでしょうか?

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「研究」と「勉強」の違い

いかがでしょうか?

「勉強」は「自分が知っていること」と「人間が知っていること」のギャップを埋める作業に過ぎないのです.

 

 

勉強はどの段階でも必要です.

高校までは「社会に出て困らないようにするため」に勉強します.

もちろん,大学でも勉強は行いますが,この目的は「研究活動を行うため」であることを知っておく必要があります.

 

このように,「勉強」と「研究」は根本的に大きく異なるのです.

 

 

では,「研究を行う人」は「研究」と「勉強」の関係はどのように違うのでしょうか?

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研究者の「勉強」と「研究」の違い

研究する人は,専門分野の「勉強」を繰り返していき,「人間が知っていること」の最前線で「研究」を行うわけです.

もちろん,専門外のことは「勉強」し続ける必要がありますし,

他の人が行った研究成果についても「勉強」し続ける必要があります.

 

 

このように「勉強」と「研究」は「新しいことを知ること」という意味で共通のことではありますが.本質的には全く異なるものなのです.

 

□卒論とレポートの違いは?

よく大学生のみなさんが大学の先生から言われるのは「君の書いた卒論はレポートだね」という言葉だと思います・

ものすごく頑張って調べて書いたのに,「論文ではないね」といわれるとものすごくショックだと思います.

でも,ここまで読んできた皆さんは「レポート」と「論文」の違いは分かってきたでしょうか?

 

「レポート」はあくまで「人間が知っていること」をまとめたものに過ぎないのです.

レポートではなにも「未知のこと」を明らかにできておらず,研究という意味では人間のためにちっとも役に立っていないのです.

(ただし,自分の勉強のためにはレポートは非常に有用なので,レポートの課題には全力で取り組んでください)

 

つまり,気を付けていく必要がありそうなのは,みなさんの「卒論」が「レポート」にならないようにしていく必要があるわけです.

 

 

□今回お伝えしたいことのまとめ

・「勉強」と「研究」は「新しいことを知る」という共通項はあるけど本質的に異なる.

・「勉強」は人間が知っていることと自分の知っていることのギャップを埋める作業.

・「研究」は人間が知らない「未知のこと」を明らかにすること.

・卒論は,人間が知らない「未知のこと」を少しでも明らかにするものでないといけない.

 

 

卒論は「未知のこと」を明らかにしなくてはいけないことはわかりましたが,なかなか「未知のこと」が何であるかを自覚することは難しいです.

次回以降の記事で「どうやって研究する内容を決めるのか」ということをお話していきたいなと思います.

 

それでは~

ジオ鹿飯田橋の観察② 飯田橋と大学と紙と

前回に引き続き,飯田橋の観察の報告をまとめます.

 

deardee9215c.hatenablog.com

 

前回は,東京大神宮周辺の裏通りを観察していました.

 

 

再び目白通りに戻ります.

飯田橋にはアパホテルがたくさんありますね.

観察対象範囲内に3つもアパホテルがありました.

 

東京都区政会館を観察

 明治大学のリバティータワーに似てません??

 どうでしょうか??

・・・色だけかな???

 

 

明治大学のリバティータワーみたいな建物が建っている場所,実は日本大学國學院大学の発祥の地のようですね.

この地にはもともと皇典講究所がありました.

 

皇典講究所明治15年(1882)8月,明治政府の神道政策の一環として,古典(国典)研究と神官を養成する機関として設立されたものです.

 

皇典講究所を語るにあたって一番重要な人物がおり,それが山田顕義です.

 

山田顕義について,ネット上の文献を引用してみましょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山田顕義 やまだ-あきよし

 
1844-1892 明治時代の軍人,政治家。
天保(てんぽう)15年10月9日生まれ。もと長門(ながと)(山口県)萩藩士岩倉遣外使節随行して欧米の兵制を視察し,東京鎮台司令長官。明治11年陸軍中将。工部卿(きょう),司法卿などを歴任し,第1次伊藤内閣から4代の内閣の法相となる。日本法律学校(現日大),国学院の創立にかかわった。枢密顧問官明治25年11月11日死去。49歳。
引用:

kotobank.jp

 

ここで,山田と日本大学國學院大學の関係を整理してみることにします.

 

山田は,1882年(明治15年)に内務卿として皇典講究所の創立に大きく関与した.

その背景には,内務省の内部で神道界の再編成しようと模索する動きがあり,その流れで山田は,政教分離思想を取り入れた純粋な国典研究と,神官養成を目的とした講典講究所の設立を認可した.

その後,1890年にこの講典講究所を母体として,国史・国文・国法を攻究する教育機関が設立され,「國學院大學」が設立された.

 

山田は内閣制度発足後の1885年に,初代司法大臣に任命され,1889年になると,司法大臣を兼任しながら講典講究所の所長となった.

 

この当時の法学教育に目を向けると,近代法典を体系的に享受する教育機関の設置が求められるようになり,フランス系法学に基づいた東京法学社(現在の法政大学)や明治法律学校(現在の明治大学),イギリス系法学に基づいた英吉利法律学校(現在の中央大学)といった私学法律学校が誕生していった.

しかしながら,これらの法律学校はそれぞれがモデルとする外国法に基づいた法学教育が行われており,日本の歴史や文化から乖離したものであったため,山田は現実に即した日本法学の研究が重要だと考えていたが,司法大臣の立場上,なかなか実行に移せない状況であった.

 

一方そのころ,帝国大学の宮崎道三郎を中心とする若手法律学者の間で日本の歴史,文化,伝統に即した日本の法律を学ぶ法律学校が必要であるという考えにより,「日本法律学校」の設立が計画されていた.

 

この計画を知った山田は,講典講究所の所長である立場を利用して全面支援を行うことにして,講典講究所を貸しだした.

その結果,1889年に日本大学の前身となる「日本法律学校」が設立された.

 

参考URL

学問の系譜 – 國學院大學

沿革 | 日本大学の歴史

 

 

このように,山田は日本の国の中枢にいながら,「講典講究所」の設立と運営に強くい関わり,日本の法学研究を行う教育機関の設立に大きく寄与したのです.

それにしても山田は伊藤博文などと一緒に活躍していたのにも関わらず,歴史の教科書でなかなか出てこないのがかわいそうですよね...

 

ここで改めて対象地域の古い地図と現在の地図で比較してみます.

 

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現在の地図は,基盤地図情報の数値標高データと,地理院地図のタイルを使用しています.

1883年の地図は「東京測量図原図」と呼ばれる地図です.

 

現在東京大神宮が建っている場所をみてみると,「山田邸」と書かれています.

どうやら,この「山田邸」の持ち主は「山田顕義らしいのです.

(参考:日本大学HP)

 

東京大神宮については前回の記事で書きましたが,1880年に日比谷で創建された東京大神宮の前身,日比谷大神宮は,関東大震災をきっかけに1928年に現在の場所に移転してきました.

ちなみに日比谷の東京大神宮は大隈重信邸の跡地のようです.

 

移転先の土地は,講典講究所の設立にも関わった「山田顕義」が所有していた土地と考えるとなかなか面白いですよね.当時の政治的な背景などを強く感じます.

 

アイガーデンエアを観察

 東京都区政会館からさらに東へいきますと,大きなビルがたくさん建っているエリアにたどり着きました.

 

アイガーデンエアと名付けられたこのエリアは2003年頃の竣工だそうです.

 

 いかにも「再開発されたエリア」感漂うこのエリアに潜入して,再開発前のなにか痕跡がないか観察してみます.

 おぉ!さっそく痕跡が見つかりました!

レールが埋め込んでありますね!

 

このレールをたどっていくと・・・

 なるほど「0㎞ポスト」のモニュメントがあるのですね!

 

ここで,「甲武鉄道」と「飯田町駅」,「飯田町紙流通センター」のことについて振り返ってみましょう.

 

甲武鉄道」は現在の「JR中央線」の原型を作り上げた鉄道で,1889年に「新宿~立川」の間で開業した.

その後,1895年になると現在のアイガーデンエアがある場所にかつてあった「飯田町駅」まで延伸してきた.

 1933年になると, 旅客運用を終了し,貨物運用を中心に行われるようになり,その後 1972年になると「飯田町紙流通センター株式会社」が開設され,同時に飯田町駅構内に紙関係専用の倉庫を開設した.この倉庫が都心の紙の流通拠点になった.

 

1999年になると貨物運用が終了し,「飯田町駅」は完全に運用が終了し,

飯田町紙流通センターは新座貨物ターミナル駅と墨田川駅に移転した.

2014年に「飯田橋紙流通センター」は同じJR貨物グループの「日本運輸倉庫」と合併し,名前を消すことになった.

 

参考URL

JR東日本八王子支社|中央線まめ知識

飯田町駅 - Wikipedia 

日本運輸倉庫株式会社 | 沿革

日本運輸倉庫、飯田町紙流通センターと合併へ | M&A仲介、会社譲渡や売却のご相談ならコーポレート・アドバイザーズへ。

 

神田川沿いにある「飯田町紙流通センター」が なぜこの地にできたのかを推察してみましょう.

 

神田川をさらに上流へさかのぼると「凸版印刷」や「大日本印刷の工場」をはじめとした印刷工場,「音羽グループ」と呼ばれる「講談社」をはじめとした出版社グループが集積しており,神田川沿いの地域は「紙産業の集積地」だったといえそうです.

 

そんな紙産業の集積地であった神田川と鉄道の結節点にあったのが「飯田町」の貨物駅であり,全国各地へ紙媒体を運ぶのに非常に適した拠点であったと考えられます.

 

飯田町紙流通センターと飯田町の様子の動画がYouTubeにあがっていましたので,みなさんご覧ください!

 

 

ちなみに,「飯田町駅」開設以前は「讃岐高松藩上屋敷」,「砲兵水廠附属生徒舎」などがあったようです.

 

調べ始めると終わらなくなりそうなので,興味がある人はぜひ調べてみてください!

 

 

 

飯田橋と大学と紙と

いかがでしたか? 

飯田橋という街は,「台地と低地」という2つの特徴を有した地形に立地しています.

また,川と鉄道が交差する地域だったからこそ,物流の拠点だったといえそうですね.

 

日本に古くから存在する大学の歴史をたどると,当時の国の動きなどと連動していることから,調べてみると大変興味深いです.

 

以前のブログでも述べましたが,「地理学は空間内の相互関係を解明する学問」と私は考えています.

この考え方は飯田橋も例外ではなく,講典講究所や神社,当時の政府,神田川甲武鉄道,牧場,武家屋敷,大学の歴史といった様々な要素が複雑に絡み合って現在の飯田橋が構成されているのです.

 

みなさんも身近な地域を「都市の観察」することによって,この奥深い世界を体験してみてはいかがでしょうか?

 

【結局どっち!?】「市ケ谷」と「市ヶ谷」

こんにちはジオ鹿です.

今朝,いつものようにTwitterを監視していたら,こういう記事が流れてきました.

rocketnews24.com

 

6月末まで何が起きるのかわからないみたいですねぇ!

すごく気になります.

 

そういえば皆さん.

市ケ谷「市ヶ谷」はどっちのほうが正しいのでしょう??

・・・どう?わかる???

 

この記事をみて,ふと「そういえばどっちのなのかなのかあまり考えたことなかったなと思いました.

 

そこで今回は,正解はどっちなのかを「地図」をみて確認していきたいと思います.

比較する地図サイトは以下の通りです!

 

・GoogleMap

Yahoo!Map

・いつもNAVI

Mapion

・MapFan

地理院地図

 

 

Google Map

www.google.co.jp

もう言わずと知れたGoogleMapですよね!

先日,地図情報の提供をゼンリンからをやめて自社製にしたという話題になっていますね.

ではさっそく「いちがや」駅を見てみましょう

谷(JRと東京メトロ

谷(都営地下鉄)

検索結果は「市谷」

 

 

JR・東京メトロ都営地下鉄で字が違うのは何とも意外ですね

 

結局どっちが正しいの!?!? 

 

 

Yahoo!地図(Yahoo!Japan)

map.yahoo.co.jp

Yahoo!地図のデータは基本的に「ゼンリン」のデータを使用しています.

ここでも「いちがや」駅を見てみましょう

地図表記,検索結果ともに 

 

なるほど,「市谷」で統一されているのですね

やはり「市谷」のほうが正しいのでしょうか?

 

〇 いつもNAVI (ゼンリン)

www.its-mo.com

地図情報整備を行うゼンリンが公開している地図サイトです.

早速「いちがや」駅のあたりの地図を見てみましょう!

 

地図表記,検索結果ともに

 

 
大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

 

このようにしてみると,「ゼンリン」が整備した地図は「市谷」で統一していそうですね!

 

Mapion(ONE COMPATH)

www.mapion.co.jp

 

Mapionの地図は先日から地図情報を更新したようですね.

地図情報リニューアルのお知らせ|株式会社ONE COMPATH(ワン・コンパス)

確かに,左下の著作権表記が「Increment P」となっており,ゼンリンのデータから移行したようです.

ということは「ゼンリン」のデータベースを使っている地図とは変わってくるのかもしれないですね.

 

早速「いちがや」駅を見てみましょう.

谷(JRと東京メトロ

谷(都営地下鉄)

検索結果は「市谷」

Mapionはブログ等に埋め込む用のHTML形式の地図がありませんので,下記リンクからアクセスしてください.

Mapion

 

こうやって見るとゼンリンのデータベースを使用している地図と様子が異なるようです.

では,Mapionの大元となる地図はどうなっているのでしょう?

 

〇MapFan(Increment P)

mapfan.com

MapFanはIncrement Pが運営する地図サービスです.

もともとはカーナビ用の地図を整備する会社で,コンシューマー向けサービスとして「MapFan」というサービスを提供しているようです.

 

では「いちがや」駅を見てみましょう!

谷(JRと東京メトロ

谷(都営地下鉄)

検索結果は「市谷」

MapFanで大きな地図を見る

 

なるほど.

やはりMapionのデータ提供元ということもあって,データベースは同じようです.

ゼンリンとIncrement Pで地図データが異なることがよくわかります. 

 

 ・・・そういえば,GoogleMapのデータも同じような結果になっていましたね!

 

一部では、GoogleMapのデータにIncrement Pのデータが活用されているという話がチラホラ出ていました。

どうやらその見解は正しいかもしれないですね。

diamond.jp

 

地理院地図

maps.gsi.go.jp

大変有名な,国土地理院の地図です.

電子国土基本図」となっていることから,日本で正しい地図といっても過言ではありません.

では「いちがや」駅を見てみましょう!

 

谷(地下鉄・JRともに

→検索結果も市

 

 

 

・・・結局「ゼンリン」も「Increment P」も「国土地理院」も「いちがや」の表記がバラバラになってしまっています・・・

 

謎は深まるばかり・・・・

 

今回分かったことは,「地図情報を整備するところ」によって表記のズレが生じていそうだということでした!

 

 

ここまでまとめてきて気づいたんですけど,鉄道会社のHPを確認したら確実なのでは??

(そもそもそれを先にやればよかったじゃんとか言わないで・・・)

JR東日本:駅構内図(市ケ谷駅)

構内図 | 市ケ谷駅/Y14/N09 | 東京メトロ

市ヶ谷 | 東京都交通局

 

おぉ!なんと! 

JR・東京メトロ都営地下鉄で「ケ」と「ヶ」の違いが本当にあったとは・・・

この違いはどこで生じてきたのでしょうか?すごく気になりますね!

 

そういった意味では「Increment P」のデータが一番正確といえるかもしれません

 

「地図情報の表記ズレ」はほかにもまだまだあると思うので,もし皆さんも発見してみたらご報告していただければと思います!

 

閲覧していただきありがとうございました!

 

 

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ちなみにOpen Street Mapは【市ケ谷】でした

 

map | OpenStreetMap Japan

 

 

・・・で,結局6月末にJR東日本は何を発表するんだ????