私と地理学が接触するまで
私と地理学が接触するまで
私は今,絶賛迷い中です.
というのも,私が今まで全力で取り組んできたものに対して疑問 を持つようになってしまったのです.
「あなたが今まで全力で取り組んできたものは何ですか?」
なんて聞かれれば,一昔前の私なら「地理学です.」と胸を張って答えていたと思います.
そう.一昔前は・・・
今は全く胸を張って「地理学!」なんていえなくなってしまいました・・・
なぜそう思えなくなってきたのか?という問いに対して,まずは私の経歴を整理する必要があるだろうと考えました.過去の私の関心の変化についてまとめたこちらの画像をご覧ください.
こちらの画像は,私が過去のどのタイミングで,何に関心を持つようになったのかについて整理してみたものです.
まずこの投稿では,幼少期から大学入学直前の「興味関心が地理学へ集約されていく様子」の過程でどのようなことがあったのかについて整理をしてみようかなと思います.
幼少期~小学校低学年期
私は周りが「仮面ライダー」だの「アンパンマン」だのハマっているときに以下のことにハマっていました.(もちろん,以下に記載したものがすべての関心だったわけではありませんが・・・)
- 幼い時から,地図という媒体に興味を持っていた.
- LEGOでは都市を作り,ここでは書いていませんがトミカで街をつくって遊んでいた.
- 親が持っていたスーパーファミコン版の「シムシティ」に5歳にしてドはまり.「住宅」「商業」「工業」の概念やNIMBYの概念などをここで学んだ.
- 2003年~2004年にかけて,テレビ東京で放送されていた完成!ドリームハウスという番組に熱中していて,当時小学校低学年でありながら,「セットバック」や「北側斜線」といった概念を理解できるようになっていた.
このような背景を持っていたので,昔から「都市」や「建物」というものに対して興味を惹かれていたのでしょう.
それが功を奏したのかわかりませんが,小学校で社会科の授業が始まると,楽しくて楽しくてしょうがなかったことを思い出します.
また,このころは親が中学受験をさせようとしていましたから,中学受験向けの塾に通っていました.
授業自体はあまりよくわかりませんでしたが,「日本地理」の分野に関しては非常に面白く,塾での学びがよく身についていたのだろうと思います.
小学校高学年期~中学生期=鉄道好きな子どもへの成長
上の図では,このころから「鉄道」という単語が出てきていますが,ここで大きな影響を及ぼしたのは引っ越しだったと思います.
引っ越す前は,東京から1時間以上かかる水田と山が同じ空間に広がる片田舎に住んでおりました.
電車は10分に1本程度で特段不便ということではなかったのですが,もともと住んでいたエリアは基本的に車社会で,移動手段も自宅の車であることが多かったのです.
そんな状況で,東京から電車で20~30分程度の場所に引っ越してきたわけです.引っ越し先の最寄り駅を見て驚きました.
まず線路が複々線で,いろんな電車がひっきりなしに来る駅だったものです.
私にとっては強烈な風景で,「鉄道」というものに強い興味をもつようになったのです.
中学校に進学したときは,同じく鉄道好きの友達とともに初乗り130円の切符を購入して大回りの旅をしたものです.旅行の計画を立てるために時刻表を学校へ持っていって友達と一緒に次はどこに行こうかだなんて会話をしておりました.
時刻表の路線図は舐めるように見ましたし,駅をたくさん覚えようともしました.
また,このころは鉄道オタクが書いた本をたくさん読み,妄想旅行に浸っておりました.
私は電車の時刻を調べて旅行計画書を作成して友達を引き連れていろんな場所に行く経験をしまくっていたものでしたから,「ツアーコンダクター」なんて仕事は非常に楽しそうだなと感じるようになるわけです.
それが結果として「観光業」というものに興味を持つようになるわけですが・・・
高校期
高校時代は,中学時代までと打って変わって「部活」にのめり込みます.(当時始めたチェロに熱中していました)
自分の生活の中から「旅行」という存在は薄らいでいきますが,それでも自分は「地理」が好きで,「観光」に興味がありました.
また,むかしから「都市」に関心があり,「鉄道」も好きだったことから,土木工学分野への興味が非常にありました.
そんな中で一番面白そうなことができそうな学科を見つけます.
それは「首都大学東京都市環境学部自然ツーリズムコース」です.(今の東京都立大学ですね)
ざっくり言えば理系の立場で観光のことに取り組むことができ,都市工学の要素も含んでいたことから非常に楽しそうだと感じ,ここに進学したいと感じるようになりました.
ところが,この当時の自然ツーリズムコースは特殊なコースで,3年次からのみの設置だったのです.
つまり,1-2年生の時は他学科に在籍して,3年次編入するという形態をとっておりました.
進学してからすぐに観光のことができないのであれば,観光に隣接しそうな学問をやろうと考えた結果,
「地理学」を1-2年生で取り組むのがよいのではないか?と考え,首都大学東京都市環境学部地理環境コースを第一志望としました.
この学科は理系科目の受験でしたし,土木工学科なども目指すことを見据えて理系選択をしました.
しかしながら,土木工学科への進学の夢は意外なところで絶たれます.
土木工学科への進学への道が高校3年生の時に絶たれる図になっていますが,
— ジオ鹿さん🦌 (@GeoDeer9215c) May 3, 2020
これはオープンキャンパスで,
「コンクリートの打音検査」を体験して興味をあまりに持てなかったためです.
考えてみれば都市工学とか景観とかを知っていればその道もあっただろうにと,今となっては少し後悔しています笑 https://t.co/jCsVPG2dxy
コンクリートの塊を目の前に,ハンマーを持たされ,「叩いてみ?音が違うでしょ!!!楽しくない???」と言われ,そこで一気に土木工学への興味が薄れます.
ここで「都市のシミュレーション」かなんか示されていたらとても興奮してそこに進学していた気も致しますが,当時の認識の甘さを悔やむばかりです.
受験期になったときに,当時の地理環境コースは「ゼミナール入試」という変わった入試制度を用意していました.
これは高校三年生に対して,大学レベルの講義を20名に対して実施して,レポートなどの評価を行い上位4名を合格させるというものでした.
私は地理が得意で得意でしょうがなかったので,このゼミナール入試も問題がないだろうと感じておりました.
課題としては,多摩ニュータウンの巡検を行い,それをもとにレポートを提出するもの.地形図の読図を行うもの.河床縦断面が氷期間氷期サイクルとどう連動して変化しているのかなど,かなり難易度が高いものでした.
私は,地元の図書館に通い,普段は目にしないような資料をたくさん借りてレポートをまとめたりして,「大学レベルの講義」というのがどういうものなのかということを体験することができました.
そして,ゼミナール入試の講義の中で,「地形学」の内容の講義が最も楽しいと感じて,「地形学がやりたい」と感じるようになっていきました.
ゼミナールの入試結果としては落ちてしまいましたが,私の中で「大学の講義とは何か?」や「地形学の面白さ」などを強く感じ,進学先は絶対に地理学科にしようと考えるようになりました.
・・・とはいうものの,当時の私はかなり落ちこぼれておりました.
まず,高校3年生になってから,数学,物理,化学でそれぞれ何を言っているのかわからなくなってしまいました.
英語は全くできず,国語も古典に関しては「学ぶ意義がわからない」と感じるほどできませんでした.
そんな中地理だけクラスで常に1番を取っている,傍から見たらよくわからない生徒だったと思います.
そんな状況で,多くの私大の地理学科は文系科目での受験になるため,高校3年生から文転を余儀なくされました.
理系科目は基礎がしっかりしていたものの,文系科目はめっぽう弱く,このままではもうどうしようもない・・・大学に行けなさそうだ・・・
と,感じていたところに,私大では珍しく地形学の教員がいるとある大学の地理学科の推薦の存在を知ります.
そこのアドミッションポリシーには目を疑うような文章が書かれていたのです.
「地図を眺めていると時間を忘れてしまう 人、三度のメシより地理が大好きだという人、そんな人の応募を歓迎します。」
私は衝撃を受けて,「これに挑戦してみない理由がない」と感じて,この推薦入試に向けて全力で臨むことにしたのです.高校三年の9月のことでした.
すべての勉強を地理に捧げて地理以外のことは何もしなかったといっても過言ではないくらい高校でやる範囲の地理の勉強をしていきました.
地理の学科試験の成績が良かったのか,私の地理学科で学びたいという意思がきちんと伝わったのかわかりませんが,地理学科に合格して,そこに進学することになりました.
ここからもさらに長くなってしまうと思いますから,ここでいったん区切りたいと思います.
また近いうちにこの続きを書きたいと思います.
それでは.