私と地理学が接触するまで
私と地理学が接触するまで
私は今,絶賛迷い中です.
というのも,私が今まで全力で取り組んできたものに対して疑問 を持つようになってしまったのです.
「あなたが今まで全力で取り組んできたものは何ですか?」
なんて聞かれれば,一昔前の私なら「地理学です.」と胸を張って答えていたと思います.
そう.一昔前は・・・
今は全く胸を張って「地理学!」なんていえなくなってしまいました・・・
なぜそう思えなくなってきたのか?という問いに対して,まずは私の経歴を整理する必要があるだろうと考えました.過去の私の関心の変化についてまとめたこちらの画像をご覧ください.
こちらの画像は,私が過去のどのタイミングで,何に関心を持つようになったのかについて整理してみたものです.
まずこの投稿では,幼少期から大学入学直前の「興味関心が地理学へ集約されていく様子」の過程でどのようなことがあったのかについて整理をしてみようかなと思います.
幼少期~小学校低学年期
私は周りが「仮面ライダー」だの「アンパンマン」だのハマっているときに以下のことにハマっていました.(もちろん,以下に記載したものがすべての関心だったわけではありませんが・・・)
- 幼い時から,地図という媒体に興味を持っていた.
- LEGOでは都市を作り,ここでは書いていませんがトミカで街をつくって遊んでいた.
- 親が持っていたスーパーファミコン版の「シムシティ」に5歳にしてドはまり.「住宅」「商業」「工業」の概念やNIMBYの概念などをここで学んだ.
- 2003年~2004年にかけて,テレビ東京で放送されていた完成!ドリームハウスという番組に熱中していて,当時小学校低学年でありながら,「セットバック」や「北側斜線」といった概念を理解できるようになっていた.
このような背景を持っていたので,昔から「都市」や「建物」というものに対して興味を惹かれていたのでしょう.
それが功を奏したのかわかりませんが,小学校で社会科の授業が始まると,楽しくて楽しくてしょうがなかったことを思い出します.
また,このころは親が中学受験をさせようとしていましたから,中学受験向けの塾に通っていました.
授業自体はあまりよくわかりませんでしたが,「日本地理」の分野に関しては非常に面白く,塾での学びがよく身についていたのだろうと思います.
小学校高学年期~中学生期=鉄道好きな子どもへの成長
上の図では,このころから「鉄道」という単語が出てきていますが,ここで大きな影響を及ぼしたのは引っ越しだったと思います.
引っ越す前は,東京から1時間以上かかる水田と山が同じ空間に広がる片田舎に住んでおりました.
電車は10分に1本程度で特段不便ということではなかったのですが,もともと住んでいたエリアは基本的に車社会で,移動手段も自宅の車であることが多かったのです.
そんな状況で,東京から電車で20~30分程度の場所に引っ越してきたわけです.引っ越し先の最寄り駅を見て驚きました.
まず線路が複々線で,いろんな電車がひっきりなしに来る駅だったものです.
私にとっては強烈な風景で,「鉄道」というものに強い興味をもつようになったのです.
中学校に進学したときは,同じく鉄道好きの友達とともに初乗り130円の切符を購入して大回りの旅をしたものです.旅行の計画を立てるために時刻表を学校へ持っていって友達と一緒に次はどこに行こうかだなんて会話をしておりました.
時刻表の路線図は舐めるように見ましたし,駅をたくさん覚えようともしました.
また,このころは鉄道オタクが書いた本をたくさん読み,妄想旅行に浸っておりました.
私は電車の時刻を調べて旅行計画書を作成して友達を引き連れていろんな場所に行く経験をしまくっていたものでしたから,「ツアーコンダクター」なんて仕事は非常に楽しそうだなと感じるようになるわけです.
それが結果として「観光業」というものに興味を持つようになるわけですが・・・
高校期
高校時代は,中学時代までと打って変わって「部活」にのめり込みます.(当時始めたチェロに熱中していました)
自分の生活の中から「旅行」という存在は薄らいでいきますが,それでも自分は「地理」が好きで,「観光」に興味がありました.
また,むかしから「都市」に関心があり,「鉄道」も好きだったことから,土木工学分野への興味が非常にありました.
そんな中で一番面白そうなことができそうな学科を見つけます.
それは「首都大学東京都市環境学部自然ツーリズムコース」です.(今の東京都立大学ですね)
ざっくり言えば理系の立場で観光のことに取り組むことができ,都市工学の要素も含んでいたことから非常に楽しそうだと感じ,ここに進学したいと感じるようになりました.
ところが,この当時の自然ツーリズムコースは特殊なコースで,3年次からのみの設置だったのです.
つまり,1-2年生の時は他学科に在籍して,3年次編入するという形態をとっておりました.
進学してからすぐに観光のことができないのであれば,観光に隣接しそうな学問をやろうと考えた結果,
「地理学」を1-2年生で取り組むのがよいのではないか?と考え,首都大学東京都市環境学部地理環境コースを第一志望としました.
この学科は理系科目の受験でしたし,土木工学科なども目指すことを見据えて理系選択をしました.
しかしながら,土木工学科への進学の夢は意外なところで絶たれます.
土木工学科への進学への道が高校3年生の時に絶たれる図になっていますが,
— ジオ鹿さん🦌 (@GeoDeer9215c) May 3, 2020
これはオープンキャンパスで,
「コンクリートの打音検査」を体験して興味をあまりに持てなかったためです.
考えてみれば都市工学とか景観とかを知っていればその道もあっただろうにと,今となっては少し後悔しています笑 https://t.co/jCsVPG2dxy
コンクリートの塊を目の前に,ハンマーを持たされ,「叩いてみ?音が違うでしょ!!!楽しくない???」と言われ,そこで一気に土木工学への興味が薄れます.
ここで「都市のシミュレーション」かなんか示されていたらとても興奮してそこに進学していた気も致しますが,当時の認識の甘さを悔やむばかりです.
受験期になったときに,当時の地理環境コースは「ゼミナール入試」という変わった入試制度を用意していました.
これは高校三年生に対して,大学レベルの講義を20名に対して実施して,レポートなどの評価を行い上位4名を合格させるというものでした.
私は地理が得意で得意でしょうがなかったので,このゼミナール入試も問題がないだろうと感じておりました.
課題としては,多摩ニュータウンの巡検を行い,それをもとにレポートを提出するもの.地形図の読図を行うもの.河床縦断面が氷期間氷期サイクルとどう連動して変化しているのかなど,かなり難易度が高いものでした.
私は,地元の図書館に通い,普段は目にしないような資料をたくさん借りてレポートをまとめたりして,「大学レベルの講義」というのがどういうものなのかということを体験することができました.
そして,ゼミナール入試の講義の中で,「地形学」の内容の講義が最も楽しいと感じて,「地形学がやりたい」と感じるようになっていきました.
ゼミナールの入試結果としては落ちてしまいましたが,私の中で「大学の講義とは何か?」や「地形学の面白さ」などを強く感じ,進学先は絶対に地理学科にしようと考えるようになりました.
・・・とはいうものの,当時の私はかなり落ちこぼれておりました.
まず,高校3年生になってから,数学,物理,化学でそれぞれ何を言っているのかわからなくなってしまいました.
英語は全くできず,国語も古典に関しては「学ぶ意義がわからない」と感じるほどできませんでした.
そんな中地理だけクラスで常に1番を取っている,傍から見たらよくわからない生徒だったと思います.
そんな状況で,多くの私大の地理学科は文系科目での受験になるため,高校3年生から文転を余儀なくされました.
理系科目は基礎がしっかりしていたものの,文系科目はめっぽう弱く,このままではもうどうしようもない・・・大学に行けなさそうだ・・・
と,感じていたところに,私大では珍しく地形学の教員がいるとある大学の地理学科の推薦の存在を知ります.
そこのアドミッションポリシーには目を疑うような文章が書かれていたのです.
「地図を眺めていると時間を忘れてしまう 人、三度のメシより地理が大好きだという人、そんな人の応募を歓迎します。」
私は衝撃を受けて,「これに挑戦してみない理由がない」と感じて,この推薦入試に向けて全力で臨むことにしたのです.高校三年の9月のことでした.
すべての勉強を地理に捧げて地理以外のことは何もしなかったといっても過言ではないくらい高校でやる範囲の地理の勉強をしていきました.
地理の学科試験の成績が良かったのか,私の地理学科で学びたいという意思がきちんと伝わったのかわかりませんが,地理学科に合格して,そこに進学することになりました.
ここからもさらに長くなってしまうと思いますから,ここでいったん区切りたいと思います.
また近いうちにこの続きを書きたいと思います.
それでは.
大津に来てみました~夜のお散歩~
こんにちは.ジオ鹿です.
現在,大津にきております.
こんなイベントが開催されるため,前泊できております.
天井川を考える会
— M.小林 (@oigawa2) November 20, 2019
12月1日にやります!
天井川を見た後に天井川を飲みながら天井川を語るイベントです。
JR南草津駅集合で、会場代として1500円いただきます。
参加される場合は自分か(@gatakongatakon )さんに連絡ください。
是非ご参加ください! pic.twitter.com/VYJBZLzIxz
すごく天井川づくしなイベントなのですが,その記録はまた後日に・・・
ジオ鹿は滋賀県に来るのが初めてでして,もちろん大津市に来るのも初めてなのですが,
びわ湖浜大津駅に降り立った時に衝撃を受けておりました.
えええ
— ジオ鹿さん🦌 (@GeoDeer9215c) November 30, 2019
京阪のびわ湖浜大津駅付近って路面電車なん!?!? pic.twitter.com/yyWAPMn8E5
通常の車両と同じような電車が路面を走っておるではないですか!
私は衝撃を隠せませんでした.
京阪京津線は非常に特殊な電車のようです.
京津線は地下鉄から山岳電車、そして路面電車、という3要素が詰まっている超特殊な路線です。
— Q-ROCK (@Urban969) November 30, 2019
路面電車として走った電車が地下鉄にも乗り入れていくなんてすごいですよねぇ.
↑コチラは,京阪石山坂本線の線路です.
そんなに広くない道路に複線で路面電車が通っております.
すごい光景です
大津のアーケード
大津市内の3つのアーケード
— ジオ鹿さん🦌 (@GeoDeer9215c) November 30, 2019
夜の雰囲気が違う
赤:1枚目:丸屋町
緑:2枚目:菱屋町
黄:3枚目:長等(ながら)
丸屋町や菱屋町は明るいけど、長等は電灯が付いていなくて真っ暗でした
丸屋町や菱屋町は昼間開店していそうな商店が多いけど、長等はデーサービスの拠点が多そう。 pic.twitter.com/qTmNi4ZNGC
大津には全蓋アーケードがあります.
区間ごとに商店会が異なるようです
「丸屋町」のアーケード
↑約600m続いている大津のアーケードですが,その一番東側に広がっている「丸屋町」のアーケードです.
20時ころに歩いたからということもありそうですが,シャッターは閉まっていました.
↓「街おこし」を行っていく拠点もあるようです
JR大津駅からは北に600mほど.
街の中心部はおそらくこのあたりになってくると思うのですが,中心市街地の活性化が必要な地域のようです.
「菱屋町」 のアーケード
↑大津のアーケードの中央部に位置しているのが,「菱屋町」のアーケードです.
コチラは「百円商店街」というのぼりがいたるところに立っていることから,割と商店会の力が強く,商店会全体で盛り上げていこうみたいな雰囲気を感じました.
↑このように割と古い建物もアーケード街の仲間入りを果たしているようです.
古い建物の景観とアーケード街を両立させるのはなかなか難しそうだなと感じる様子です.
↑アーケード街の屋根の上に上る階段がありました.
下に掲げてある表記の年季の入った看板を確認すると,
許可なく無断にてアーケード上へ
乗降したる者は犯罪とみなします
菱屋町商店街
というがありました.
登る人がいるのかは不明ですが,この看板の雰囲気好きです.
長等(ながら)のアーケード
大津のアーケード街の一番西側のアーケード「ながら」
アーケード街の灯りは消えており,歩くのが少し怖かった様子でした.
こころなしか,先ほどまでの通りと異なり,昼間も経営されているのかよくわからない商店が目立ちます.
写真ではとりそびれたのですが,「デイサービスセンター」などの施設が多い印象がありました.
昼間はデイサービスの施設が開くので,夜とは異なる雰囲気なのかもしれません.
アーケード街の外側は?
一歩アーケード街から裏路地に入ると,古い住宅が立ち並んでおりました.
そんな中で,こんな物件を発見しました.
京阪三井寺駅徒歩5分 面積45平米 賃料5.5万円
一見すると3Kの良い感じの物件なのですが,実はもう築年数も不明な建物です.
中がどうなっているのかすごく不安ですが,大津に住みたい,興味があるという方は内覧してみてはいかがでしょうか?なんてたって賃料5.5万円ですからね.安いです.
さらに奥に行くと,スナックや割烹料理店といった夜の街に似合いそうな看板が多くあったのですが,お店が開いていませんでした.
かつては夜に人がにぎわっていたけど,今は人が集まらない空間に変わってしまったというところでしょうか・・・
すこし寂しい感じがしました.
大津の生活道路文化
先ほどのながらのアーケード街の中に「本要寺」というお寺があったのですが,そこにあった注意書きがなかなか興味深い
この通路は、慣例で皆様に通行いただいております
が、宗教法人本要寺の私有地で公道ではありません。
と書いています.
また,べつな住宅街を覗くとこんな景観が広がっていました.
↑この民間の建物の一部分が通れるようになっていて,実際に自転車に乗った方が通り抜けておりました.
ちなみに,地図での表示はこのようになります.
また,このお豆腐屋さんの右側の通路も通れるようになっておりました.
地図ではこんな感じ
大津には民有地を生活道路として活用するみたいな慣習があるのでしょうか?
非常に気になります.
琵琶湖疏水と大津城
琵琶湖疏水自体は琵琶湖の水を京都の市街地にもたらすための導水路ですが,大津市内においては,ここを流れている意味というのがどうやらあるようなのです.
大津にはかつて,大津城というお城があったようです.
1586年頃に豊臣秀吉によって築かれたようですが,ここの琵琶湖疏水の部分は,大津城の外堀に相当する場所のようなのです.
「大津にはお城があって,お堀がたくさんあったんだ~」と感じながら,びわ湖浜大津駅周辺を歩いておりますと,妙な隙間を感じました.
妙な隙間はおそらく「大津城内堀の一部」なのです.
↑線でなぞった部分
思わぬところで大津城を感じられたのが面白かったです.
次は昼間に大津の街を散策したいなと思います.
ではでは~
批判をしたつもりが表現の自由を侵害してしまった事例
台風や豪雨の時は、岐阜市民はとにかく川の様子を気にします。
— サンスイ先生 (@JUKAIN2015) July 5, 2018
なぜか?長良川は天井川だからです 💦
氾濫したら市街地は終わりなんです(;^ω^) pic.twitter.com/2Wz3dcsdDT
その断面図は天井川ではない https://t.co/1M7X2VlkIv
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 7, 2019
「川底が、周辺の地面の高さよりも高い位置にある川のことを天井川といいます。」
研究者が自分の知っている知識を使って市民に暴力を振るっている事例。
— ジオ鹿さん (@GeoDeer9215c) September 8, 2019
アウトリーチとか言ってる場合じゃないでしょう。
なぜ「暴力」と断定でき、また、なぜ「アウトリーチなどと言ってる場合ではない」と他人を非難できるのか、説明してください。なお、貴方のこのツイートは、刑法230条または刑法231条に抵触する可能性があるので、法的措置も検討します。関連ツイートは全てスクリーンショットとして保存してあります。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
なぜ「自分の知っている知識が絶対正しいと思っているタイプ」と言い切れるのか、説明してください。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
図の原典を探したら、「川底は周辺の土地より低いけれども,低水位程度でも水位が周辺の地盤より高い状態にある場合にも天井川と呼ぶことがあります」との記載を見つけました。初めて聞いた、というより違和感を感じましたが、ご参考まで。https://t.co/An4G71Nuda
— こびわ⚒ (@kobiwa_net) September 7, 2019
参考にする価値はないように思えます
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 7, 2019
この地帯では、洪水時の河川水位が周辺の地盤高よりかなり高い”天井川”のため、万一堤防から水があふれると、洪水の流れは地盤高の低い市街地や耕作地等に氾濫し、大きな浸水被害を及ぼすことになります。
なぜ「揚げ足」と断定できるのか、説明してください。また「用語の使われ方も正しい」が、何のことかを説明してください。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
なぜ「吊し上げる」と言えるのか、説明してください。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
市民のツイートを晒して、明確な説明がないまま「間違っている」と指摘する内容を引用リツイートしていることを吊し上げるという表現を用いています。
もうひとつの問題は、学術的誤解があり、かつ著作権法違反の疑いの強いツイートを、日本地理学会の公式アカウントがリツイートしていること。リツイートした「中の人」は素人ではないので、1秒あれば十分に判別できるはず。会員の一人としては、公式が拡散させるツイートは取捨選択してほしいと思う。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 14, 2019
ご参考になる意見をご提示していただきありがとうございます。
— ジオ鹿さん?? (@GeoDeer9215c) September 14, 2019
発信者の詳細を把握することなく、ツイート内容だけを評価される先生が、発信者のことを「教員である」という可能性を捉えている点が非常に視野が広い方だなと感じております。
さすがにアカウント名の「先生」は瞬時に目に入りますからね。もちろんそれで断定はできず、あくまでも可能性ですが。ちなみに、ジオ鹿さんが断定された「1年前のツイートを掘り起こした」は事実ではありません(そんな暇はないので)。きっかけは上記にある学会公式アカウントによるリツイートです。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 14, 2019
日本地理学会がRTした内容を私個人として把握しておりませんでしたので、そのことは私の認識の誤りでした。大変失礼致しました。
— ジオ鹿さん?? (@GeoDeer9215c) September 14, 2019
当該ツイートのユーザー名からそのような可能性を感じたのですね。ご説明していただきありがとうございます。
ご理解に感謝します。今後は、経緯を把握せずに断定してエアリプで(乱暴とみなされても仕方ない表現で)罵る行為がなされなければ良いなと、非難を受けた側としては勝手に期待しております。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 14, 2019
今回ご指摘を頂いた内容につきましては、ブログでも述べました通り、私の方でも大変反省しております。
— ジオ鹿さん?? (@GeoDeer9215c) September 14, 2019
疑問に感じた点はご質問させていただくこともあると思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
何が「残念な結果」なのか、説明してください。
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
最初のツイート発信者が参考にしたソースを確認せずに、「見るに値しない」と述べてしまっているところに「残念な結果」だと感じています。
エアリプほどセコいクソリプはない。エアリプで他人を攻撃する行為には陰で悪口を言うような卑劣さがある。トラブルになったときの逃げ道を確保してるつもりなんだろうが、その発言に不当性があったときでも文脈から容易にエアリプ相手を特定できるので発言の責任は免れない。 @GeoDeer9215c @oigawa2 https://t.co/lr1Zj6sfTj
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
こちらに関しては、私が尾方先生に意見をリプライとして最初から申し上げなかったことに問題があります。申し訳ありませんでした。
私は、ご指摘を受けたらきちんと返信を行っており、「自分の責任を放棄している」ということはございません。
◻︎まとめ
□追記
ただ、ブログに記載いただいたような地形に対する誤が広まっていることは把握できましたので、Twitterではなく、仕事の方で何かできることがないか検討します。 @GeoDeer9215c
— Takayuki Ogata (@s15taka) September 10, 2019
Twitterを活用されていらっしゃるのですが、アウトリーチの文脈とは関係がないとおっしゃっております。
アウトリーチ活動に関して積極的に行っている方でしたから、一生懸命Twitterでの発信に取り組まれていると感じていたのですが、そうではなかったのですね。
本ブログで指摘した内容を、お仕事にも活用していただけるとのことなので、今後は尾方先生がペーパーで発表されたものを読んでいきたいと思っております。
それでは~
地図から何が読み取れるのか?
参加者それぞれ保有する「地図データ量の差」「地図情報」が脳内に多いひとは地図を見たときにどのような読み解き方をするのか
【#地図データを観察する会 のお知らせ】
— ジオ鹿さん (@GeoDeer9215c) July 12, 2019
先日から告知しておりました企画の詳細をご案内致します!
日時:2019年7月27日(土)13:00-17:00
場所:東京駅周辺の会場(参加者の方には告知いたします)
費用:300円(会場代として)
申込:TwitterのDMで
現在4名です ご参加お待ちしております! https://t.co/d1VsQFQqJ6 pic.twitter.com/oQBa1qyTaV
◻︎注記なしの地図を判読する
第一問
・都市の西側の南北に新幹線が通っている.・JR線と私鉄線は別々に分かれている.・お城があるから城下町だった・国立大学が存在している・地図の南北には河川が流れている
・都市の西側の南北に新幹線が通っている.・JR線と私鉄線は別々に分かれている.
第2問
・JR線が東西に延びている・中心駅で私鉄がスイッチバックをしている.⇒都市部でこういう構造を有している鉄道駅は相当少ない.・中心駅から出ている2つの私鉄を比較すると東側の鉄道のほうが駅間が短い⇒東側の鉄道のほうが西側の鉄道より規模が小さい?・一番東側の私鉄は道路と重なっている部分が存在している.⇒路面電車か,モノレールだろう・簡易裁判所がある.・ベアリング工場がある.⇒自動車関連工場が近くにあるのかな?・地図の西側に大規模なゴルフ場がみられる⇒丘陵地上が広がっているのではないか?
第3問引用元:ここどこクイズ第100問目(URL: http://mudagomi.web.fc2.com/all/Kokodoko/N100.html )
では,この地図を観察してみましょう.
□地図には様々な読み取り方が存在する
追記
卒論を書くにはどうすればいいのだろう?
こんにちはジオ鹿です.
最近,後輩から「卒論について相談させてください」と相談を受けることが増えてきました.
私の後輩のように多くの大学生は「卒業論文」なるものを書かなくては卒業できないことが多いと思いますし,筆者である私も苦しみながらも、卒業論文を書きました.
「きちんとした卒論の書き方」は、大学の先生ももちろん教えてくれますが、かなり抽象的な説明で分かりにくいと感じる人も多いと思います.
一方で,ネット上の「卒論の書き方」は「書き方のテクニック」を示したものは多いですが,本質となる部分が欠けているものが多いように感じます.
中には,こんな感じで卒論に取り組む人もいるわけです.
卒論への取り組み方は人それぞれでしょうから,別にとやかく言いませんが,私の一連の投稿を読んでいただくと,このような取り組み方が「いかに愚かなことか」ということが分かると思います.
そこで,このブログでは、「正攻法で卒論をどうやって書けばいいのか?」ということを.卒論の内容を学会で発表した経験のある筆者が、書き綴ったものです.
特に私は地理学専攻でしたから,地理学という学問について触れていくことになると思います.
もちろん,学問によって大きく異なりますから,「こういうやり方もあるのか」と参考にしていただければよいと思います.
まず,今回の投稿では,
・卒論が何であるか?
・「勉強」と「研究」の違い
・「卒論」が「レポート」と言われないためには?
ということについてお伝えできればと思います.
具体的な卒論の書き方は後日ご紹介させていただきたいと思います.
□卒論は何だろう?
「卒論」とひとくくりに言っても,そもそもどういうものであるのかということが分からないと,取り組むことも厳しいですよね?
まずは「卒論」はどういうものであるのかを考えていくところから始めていきましょう.
ずばり,卒論は
「大学の学部を卒業するために提出する,研究成果をまとめた論文」
といえると思います.
ここで気になるのが「研究」という言葉です.
「研究すること」の本質が分からない限りは,まともな卒論を書くことはできなません.
□「勉強」と「研究」って何が違うの?
「研究」と似た概念に「勉強」があります.
どちらも「新しい知識を知る」という意味では似ているように思います.
しかしながらこの2つの概念は大きく異なるものであります.
ではまずは辞書で「研究」という言葉を調べてみましょう.
デジタル大辞泉の解説
けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】
[名](スル)物事を詳しく調べたり、深く考えたりして、事実や真理などを明らかにすること。また、その内容。「中世史を 研究 する」「対策を研究 する」「研究 者」「研究 発表」
ここで重要なのが「事実や心理などを明らかにすること.」という部分です.
「研究」という概念を図化するとこうなるでしょう.
人間が知っていることはある程度体系化されており,それがそれぞれの「学問」として成立していると考えるとよさそうです.
そして,人間が知っていることの周りには多くの知らないこと,「未知のこと」があり,その「未知のこと」を解明していくことが「研究」といえそうです.
では,「勉強」とはどういう概念なのでしょうか?
いかがでしょうか?
「勉強」は「自分が知っていること」と「人間が知っていること」のギャップを埋める作業に過ぎないのです.
勉強はどの段階でも必要です.
高校までは「社会に出て困らないようにするため」に勉強します.
もちろん,大学でも勉強は行いますが,この目的は「研究活動を行うため」であることを知っておく必要があります.
このように,「勉強」と「研究」は根本的に大きく異なるのです.
では,「研究を行う人」は「研究」と「勉強」の関係はどのように違うのでしょうか?
研究する人は,専門分野の「勉強」を繰り返していき,「人間が知っていること」の最前線で「研究」を行うわけです.
もちろん,専門外のことは「勉強」し続ける必要がありますし,
他の人が行った研究成果についても「勉強」し続ける必要があります.
このように「勉強」と「研究」は「新しいことを知ること」という意味で共通のことではありますが.本質的には全く異なるものなのです.
□卒論とレポートの違いは?
よく大学生のみなさんが大学の先生から言われるのは「君の書いた卒論はレポートだね」という言葉だと思います・
ものすごく頑張って調べて書いたのに,「論文ではないね」といわれるとものすごくショックだと思います.
でも,ここまで読んできた皆さんは「レポート」と「論文」の違いは分かってきたでしょうか?
「レポート」はあくまで「人間が知っていること」をまとめたものに過ぎないのです.
レポートではなにも「未知のこと」を明らかにできておらず,研究という意味では人間のためにちっとも役に立っていないのです.
(ただし,自分の勉強のためにはレポートは非常に有用なので,レポートの課題には全力で取り組んでください)
つまり,気を付けていく必要がありそうなのは,みなさんの「卒論」が「レポート」にならないようにしていく必要があるわけです.
□今回お伝えしたいことのまとめ
・「勉強」と「研究」は「新しいことを知る」という共通項はあるけど本質的に異なる.
・「勉強」は人間が知っていることと自分の知っていることのギャップを埋める作業.
・「研究」は人間が知らない「未知のこと」を明らかにすること.
・卒論は,人間が知らない「未知のこと」を少しでも明らかにするものでないといけない.
卒論は「未知のこと」を明らかにしなくてはいけないことはわかりましたが,なかなか「未知のこと」が何であるかを自覚することは難しいです.
次回以降の記事で「どうやって研究する内容を決めるのか」ということをお話していきたいなと思います.
それでは~
ジオ鹿飯田橋の観察② 飯田橋と大学と紙と
前回に引き続き,飯田橋の観察の報告をまとめます.
前回は,東京大神宮周辺の裏通りを観察していました.
再び目白通りに戻ります.
アパホテルの意地なのか、白いビルの意地なのか。
— 佐藤 匠 (@S1219taku) June 1, 2019
#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/MgEBla29ln
どうでもいいけどアパ写りすぎやろ問題(別々のですよ) #ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/UMgZpPw26o
— 網 (@jbj12o) June 1, 2019
観察対象範囲内に3つもアパホテルがありました.
東京都区政会館を観察
明治のリバティタワーぽいな?#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/CpC8VrZ3UT
— ジオ鹿さん (@GeoDeer9215c) June 1, 2019
明治大学のリバティータワーに似てません??
どうでしょうか??
・・・色だけかな???
明治大学のリバティータワーみたいな建物が建っている場所,実は「日本大学」と「國學院大学」の発祥の地のようですね.
國學院と日本大学発祥の地#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/PJQlxlQ3wp
— ジオ鹿さん (@GeoDeer9215c) June 1, 2019
この地にはもともと「皇典講究所」がありました.
皇典講究所は明治15年(1882)8月,明治政府の神道政策の一環として,古典(国典)研究と神官を養成する機関として設立されたものです.
皇典講究所を語るにあたって一番重要な人物がおり,それが「山田顕義」です.
山田顕義について,ネット上の文献を引用してみましょう
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
ここで,山田と日本大学,國學院大學の関係を整理してみることにします.
山田は,1882年(明治15年)に内務卿として皇典講究所の創立に大きく関与した.
その背景には,内務省の内部で神道界の再編成しようと模索する動きがあり,その流れで山田は,政教分離思想を取り入れた純粋な国典研究と,神官養成を目的とした講典講究所の設立を認可した.
その後,1890年にこの講典講究所を母体として,国史・国文・国法を攻究する教育機関が設立され,「國學院大學」が設立された.
山田は内閣制度発足後の1885年に,初代司法大臣に任命され,1889年になると,司法大臣を兼任しながら講典講究所の所長となった.
この当時の法学教育に目を向けると,近代法典を体系的に享受する教育機関の設置が求められるようになり,フランス系法学に基づいた東京法学社(現在の法政大学)や明治法律学校(現在の明治大学),イギリス系法学に基づいた英吉利法律学校(現在の中央大学)といった私学法律学校が誕生していった.
しかしながら,これらの法律学校はそれぞれがモデルとする外国法に基づいた法学教育が行われており,日本の歴史や文化から乖離したものであったため,山田は現実に即した日本法学の研究が重要だと考えていたが,司法大臣の立場上,なかなか実行に移せない状況であった.
一方そのころ,帝国大学の宮崎道三郎を中心とする若手法律学者の間で日本の歴史,文化,伝統に即した日本の法律を学ぶ法律学校が必要であるという考えにより,「日本法律学校」の設立が計画されていた.
この計画を知った山田は,講典講究所の所長である立場を利用して全面支援を行うことにして,講典講究所を貸しだした.
その結果,1889年に日本大学の前身となる「日本法律学校」が設立された.
参考URL
このように,山田は日本の国の中枢にいながら,「講典講究所」の設立と運営に強くい関わり,日本の法学研究を行う教育機関の設立に大きく寄与したのです.
それにしても山田は伊藤博文などと一緒に活躍していたのにも関わらず,歴史の教科書でなかなか出てこないのがかわいそうですよね...
ここで改めて対象地域の古い地図と現在の地図で比較してみます.
現在の地図は,基盤地図情報の数値標高データと,地理院地図のタイルを使用しています.
1883年の地図は「東京測量図原図」と呼ばれる地図です.
現在東京大神宮が建っている場所をみてみると,「山田邸」と書かれています.
どうやら,この「山田邸」の持ち主は「山田顕義」らしいのです.
(参考:日本大学HP)
東京大神宮については前回の記事で書きましたが,1880年に日比谷で創建された東京大神宮の前身,日比谷大神宮は,関東大震災をきっかけに1928年に現在の場所に移転してきました.
ちなみに日比谷の東京大神宮は大隈重信邸の跡地のようです.
移転先の土地は,講典講究所の設立にも関わった「山田顕義」が所有していた土地と考えるとなかなか面白いですよね.当時の政治的な背景などを強く感じます.
アイガーデンエアを観察
東京都区政会館からさらに東へいきますと,大きなビルがたくさん建っているエリアにたどり着きました.
「アイガーデンエア」と名付けられたこのエリアは2003年頃の竣工だそうです.
なお土曜日のアイガーデンテラス(オフィスビル・ホテル・高層マンション・飲食街から成る複合施設。2003年竣工)は、個人的にめっちゃ三井感があった #ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/cMrHR3oW25
— 網 (@jbj12o) June 2, 2019
いかにも「再開発されたエリア」感漂うこのエリアに潜入して,再開発前のなにか痕跡がないか観察してみます.
飯田町駅跡地の再開発エリア西端から延びる、レール…?
— 網 (@jbj12o) June 2, 2019
これをたどっていくと、甲武鉄道始点のモニュメントが。設置箇所は厳密には異なるようだけど、当時のレールだそう(下記参照)
1枚目の撮影場所が2枚目「ココ」
アイガーデンエア(旧飯田町駅跡) https://t.co/89FeJGiK5c
#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/e65rIVbWXM
おぉ!さっそく痕跡が見つかりました!
レールが埋め込んでありますね!
このレールをたどっていくと・・・
甲武鉄道0キロポスト#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/h3Xco2mXqe
— 10月うさぎ (@Octoberabbit) June 1, 2019
なるほど「0㎞ポスト」のモニュメントがあるのですね!
ここで,「甲武鉄道」と「飯田町駅」,「飯田町紙流通センター」のことについて振り返ってみましょう.
「甲武鉄道」は現在の「JR中央線」の原型を作り上げた鉄道で,1889年に「新宿~立川」の間で開業した.
その後,1895年になると現在のアイガーデンエアがある場所にかつてあった「飯田町駅」まで延伸してきた.
1933年になると, 旅客運用を終了し,貨物運用を中心に行われるようになり,その後 1972年になると「飯田町紙流通センター株式会社」が開設され,同時に飯田町駅構内に紙関係専用の倉庫を開設した.この倉庫が都心の紙の流通拠点になった.
1999年になると貨物運用が終了し,「飯田町駅」は完全に運用が終了し,
飯田町紙流通センターは新座貨物ターミナル駅と墨田川駅に移転した.
2014年に「飯田橋紙流通センター」は同じJR貨物グループの「日本運輸倉庫」と合併し,名前を消すことになった.
参考URL
神田川沿いにある「飯田町紙流通センター」が なぜこの地にできたのかを推察してみましょう.
神田川をさらに上流へさかのぼると「凸版印刷」や「大日本印刷の工場」をはじめとした印刷工場,「音羽グループ」と呼ばれる「講談社」をはじめとした出版社グループが集積しており,神田川沿いの地域は「紙産業の集積地」だったといえそうです.
そんな紙産業の集積地であった神田川と鉄道の結節点にあったのが「飯田町」の貨物駅であり,全国各地へ紙媒体を運ぶのに非常に適した拠点であったと考えられます.
飯田町紙流通センターと飯田町の様子の動画がYouTubeにあがっていましたので,みなさんご覧ください!
ちなみに,「飯田町駅」開設以前は「讃岐高松藩上屋敷」,「砲兵水廠附属生徒舎」などがあったようです.
讃岐高松藩上屋敷跡は、
— 10月うさぎ (@Octoberabbit) June 2, 2019
砲兵水廠附属生徒舎となり、
飯田町紙流通センターを経て、
今はアイガーデンエアとなり、高層ビルが立ち並んでいる。
ただ砲兵水廠附属生徒舎や、その後については調べてもあまり出てこない…#ジオ鹿飯田橋の観察 pic.twitter.com/BkuxyijU1N
調べ始めると終わらなくなりそうなので,興味がある人はぜひ調べてみてください!
飯田橋と大学と紙と
いかがでしたか?
飯田橋という街は,「台地と低地」という2つの特徴を有した地形に立地しています.
また,川と鉄道が交差する地域だったからこそ,物流の拠点だったといえそうですね.
日本に古くから存在する大学の歴史をたどると,当時の国の動きなどと連動していることから,調べてみると大変興味深いです.
以前のブログでも述べましたが,「地理学は空間内の相互関係を解明する学問」と私は考えています.
この考え方は飯田橋も例外ではなく,講典講究所や神社,当時の政府,神田川,甲武鉄道,牧場,武家屋敷,大学の歴史といった様々な要素が複雑に絡み合って現在の飯田橋が構成されているのです.
みなさんも身近な地域を「都市の観察」することによって,この奥深い世界を体験してみてはいかがでしょうか?
【結局どっち!?】「市ケ谷」と「市ヶ谷」
こんにちはジオ鹿です.
今朝,いつものようにTwitterを監視していたら,こういう記事が流れてきました.
6月末まで何が起きるのかわからないみたいですねぇ!
すごく気になります.
そういえば皆さん.
「市ケ谷」と「市ヶ谷」はどっちのほうが正しいのでしょう??
・・・どう?わかる???
この記事をみて,ふと「そういえばどっちのケなのかヶなのかあまり考えたことなかったなと思いました.
そこで今回は,正解はどっちなのかを「地図」をみて確認していきたいと思います.
比較する地図サイトは以下の通りです!
・GoogleMap
・Yahoo!Map
・いつもNAVI
・MapFan
・地理院地図
Google Map
もう言わずと知れたGoogleMapですよね!
先日,地図情報の提供をゼンリンからをやめて自社製にしたという話題になっていますね.
ではさっそく「いちがや」駅を見てみましょう
市ケ谷(JRと東京メトロ)
市ヶ谷(都営地下鉄)
検索結果は「市ケ谷」
結局どっちが正しいの!?!?
〇Yahoo!地図(Yahoo!Japan)
Yahoo!地図のデータは基本的に「ゼンリン」のデータを使用しています.
ここでも「いちがや」駅を見てみましょう
市ケ谷
地図表記,検索結果ともに
なるほど,「市ケ谷」で統一されているのですね
やはり「市ケ谷」のほうが正しいのでしょうか?
〇 いつもNAVI (ゼンリン)
地図情報整備を行うゼンリンが公開している地図サイトです.
早速「いちがや」駅のあたりの地図を見てみましょう!
市ケ谷
地図表記,検索結果ともに
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
このようにしてみると,「ゼンリン」が整備した地図は「市ケ谷」で統一していそうですね!
〇Mapion(ONE COMPATH)
Mapionの地図は先日から地図情報を更新したようですね.
地図情報リニューアルのお知らせ|株式会社ONE COMPATH(ワン・コンパス)
確かに,左下の著作権表記が「Increment P」となっており,ゼンリンのデータから移行したようです.
ということは「ゼンリン」のデータベースを使っている地図とは変わってくるのかもしれないですね.
早速「いちがや」駅を見てみましょう.
市ケ谷(JRと東京メトロ)
市ヶ谷(都営地下鉄)
検索結果は「市ケ谷」
※Mapionはブログ等に埋め込む用のHTML形式の地図がありませんので,下記リンクからアクセスしてください.
こうやって見るとゼンリンのデータベースを使用している地図と様子が異なるようです.
では,Mapionの大元となる地図はどうなっているのでしょう?
〇MapFan(Increment P)
MapFanはIncrement Pが運営する地図サービスです.
もともとはカーナビ用の地図を整備する会社で,コンシューマー向けサービスとして「MapFan」というサービスを提供しているようです.
では「いちがや」駅を見てみましょう!
市ケ谷(JRと東京メトロ)
市ヶ谷(都営地下鉄)
検索結果は「市ケ谷」
なるほど.
やはりMapionのデータ提供元ということもあって,データベースは同じようです.
ゼンリンとIncrement Pで地図データが異なることがよくわかります.
・・・そういえば,GoogleMapのデータも同じような結果になっていましたね!
一部では、GoogleMapのデータにIncrement Pのデータが活用されているという話がチラホラ出ていました。
どうやらその見解は正しいかもしれないですね。
〇地理院地図
大変有名な,国土地理院の地図です.
「電子国土基本図」となっていることから,日本で正しい地図といっても過言ではありません.
では「いちがや」駅を見てみましょう!
市ヶ谷(地下鉄・JRともに
→検索結果も市ヶ谷
・・・結局「ゼンリン」も「Increment P」も「国土地理院」も「いちがや」の表記がバラバラになってしまっています・・・
謎は深まるばかり・・・・
今回分かったことは,「地図情報を整備するところ」によって表記のズレが生じていそうだということでした!
ここまでまとめてきて気づいたんですけど,鉄道会社のHPを確認したら確実なのでは??
(そもそもそれを先にやればよかったじゃんとか言わないで・・・)
おぉ!なんと!
JR・東京メトロと都営地下鉄で「ケ」と「ヶ」の違いが本当にあったとは・・・
この違いはどこで生じてきたのでしょうか?すごく気になりますね!
そういった意味では「Increment P」のデータが一番正確といえるかもしれません
「地図情報の表記ズレ」はほかにもまだまだあると思うので,もし皆さんも発見してみたらご報告していただければと思います!
閲覧していただきありがとうございました!
・・・で,結局6月末にJR東日本は何を発表するんだ????